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富山県・高岡商工会議所の日本クラブ訪問~松楓殿が取り持ったご縁
10/18/23
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日本クラブ初代会長、富山県高岡生まれの化学者、高峰譲吉博士(1854~1922)の別邸「松楓(しょうふう)殿」は、1904年アメリカ・セントルイス万国博覧会にて日本館のパビリオンとして建設され、万国博覧会の終了後、高峰博士が譲り受けニューヨーク郊外(Forestburgh, NY)に移築し、日米親善の社交場や政財界の要人の迎賓館として利用されました。
数奇屋大工としてニューヨークを中心に活動された故・小林繁さんは、90年代後半から松楓殿の改築・修復作業に携わり、その際に小林さんが集めた関連資料を、妻の小林遹子(いつこ)夫人がご主人の逝去後、どこかに寄贈したいと思い、友人のアルツハイマー病の研究家、増地矢恵子さんに相談。増地さんが高峰博士の生誕地の富山県高岡市に連絡を取り、2023年春、小林夫人の代理として高岡市を訪れ、寄贈されました。
今回、高岡商工会議所の方々が高岡市の団体研修のためニューヨーク訪問し、10月18日に小林夫人と増地さんと一緒にWoodlawn Cemeteryの高峰博士のお墓や、Catskillにある松風殿跡地を訪れ、そして日本クラブを訪問されました。
高岡商工会議所では、高峰博士の偉業を後世に伝える「高峰譲吉博士顕彰プロジェクト」を立ち上げ、その一環として松楓殿再現事業にも取り組み、令和2年より高岡商工ビル1階ロビーで、その一部を再現公開しています。今回、松楓殿の再現展示や調度品の管理、パンフレットの作成を行う会社など、松楓殿再現に関わりのある企業の方々などが日本クラブを訪れ、日本クラブ前田正明事務所長と歓談しました。
また、小林さんが作られた日本クラブ4階の和室・松の間と竹の間、そして3階の和風の化粧室などを見学されました。「私の人生には常に松楓殿がある」と小林夫人は語られました。
高峰譲吉博士(たかみね・じょうきち)
1854~19221854年、富山県高岡市生まれ。結婚後、アメリカに永住。消化酵素タカジアスターゼ、ホルモンのアドレナリンを発見し「近代バイオテクノロジーの父」と呼ばれた。ニューヨークの日本人コミュニティーを作った一人であり、また当時の東京都知事・尾崎行雄とともに、私財を投じてワシントンDCのポトマック川に桜の木を寄贈し、日米親善にも多大な功績を残した。