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【エッセイ】大西洋横断無線通信の舞台 マルコーニ・ビーチ〔筆者:日本クラブ事務所長 前田正明 〕

01/11/24

  • 1.はじめに
    ニューヨークやボストンからの週末旅行の行き先として、マサチューセッツ州のケープコッド(Cape Cod)は極めてポピュラーな存在と言えます。同じくマサチューセッツ州にあるハイアニスなども、アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディがこよなく愛し、彼のミュージアムもある代表的な観光地・避暑地です。我が家も一昨年に短い夏をこのケープコッドで楽しもうと週末旅行を企画しました。

    4~5時間ドライブすると、真っ白な砂のビーチが点在するケープコッドに到着しますが、まさにそこは別世界です。その1つのビーチがマルコーニ・ビーチと呼ばれていることは以前から知っていましたが、なぜこのような名前がついたのか興味を持ち調べてみました。

     

    2.マルコーニ・ビーチ
    ケープコッドは地図を見ていただくとわかると思いますが、ちょうど人が腕を曲げて力こぶを作ったような形をしています(図1)。真ん中を通るRoute 6 を行くと、腕を曲げた肘の少し上あたりに当たるところにマルコーニ・ビーチがあります。このあたりは白砂のビーチが広がっています。外海で特に波を遮るものもないので、打ち寄せる波は割と強く、大人でも波が引くときは沖へ引っ張り込まれそうになる感じがあり、小さい子が一人で海水浴という感じではありません。海辺での夏の日差しを楽しむ。海岸で遊ぶ。そういう風景があちこちで見られます。

    (図1:マルコーニ・ビーチの位置)

     

    「ここは日本で見慣れた太平洋ではないのだ。大西洋であり、海の向こうはヨーロッパでありアフリカである」と、MIT Sloan Schoolに私が留学(2001-2002)に来た米国在住の最初のころ、ここに来た時に強く思ったものです。

    リンドバーグの大西洋無着陸飛行など、大西洋を越えて米国へ、逆にヨーロッパへというチャレンジはたくさんありますが、通信の世界ではマルコーニ・ビーチからの電波による大西洋越えも、そういった大きなエポックメーキングな出来事の1つであったと思います。現在マルコーニ・ビーチはその面影をほとんど残していませんが、まさにその舞台であったのです(写真1)。

    (写真1:マルコーニ・ビーチで楽しむ人々)

     

    3.マルコーニ無線局 (Marconi wireless site)
    マルコーニ・ビーチの一角にあるマルコーニ無線局の元敷地に現在設置されている展望台では、海と湾の両方が一望できる素晴らしい景観を楽しむことができます。設置されている掲示板には、このエリアとその歴史が説明されています(写真2)。

    (写真2:展望台の外観)

     

    湿地帯までの トレイルにはさまざまな木々が生い茂り、ホワイトシダーとレッドカエデの群落という植物群落の素晴らしい景色を眺めることができます。このマルコーニ・ビーチの名前は、有名なイタリアの発明家グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)(写真3)に由来しています。 マルコーニは、1903 年にこの近くの場所から、米国と英国間の最初の大西洋横断無線通信に成功しました。このビーチは、その背後にある急峻な 40 フィートの砂崖 で有名だったのです。マルコーニがこの場所を無線局の敷地として選んだのは、海を見下ろすこの高台の地形のためです。 第二次世界大戦中、同様の理由でこの地域は砲兵訓練施設キャンプ・ウェルフリートが設立されました。軍事キャンプは最終的にその使命を終え、ケープコッド国立海岸の創設とともに国立公園局に譲渡されました。

    (写真3:イタリアの発明家グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi))

     

    初の大西洋横断の無線通信は、1902 年 12 月 17 日にカナダのノバスコシア州グレース ベイで双方向メッセージが送受信されました。ここ、 ウェルフリート・サイトの準備が整い、1903 年 1 月 18 日にマルコーニは米国大統領と英国国王の間でメッセージを伝達することに成功し、またも世界初の (そしてちょっとしたメディアイベントのような) イベントを開催しました。 その後、技術の急速な進歩により、この無線局はあっという間に時代遅れになり、マサチューセッツ州チャタムの新しい無線局に取って代わられるのです。現在はタワーや局舎というものは存在せず、わずかに当時の局舎の壁やレンガが残置されているにすぎません。

     

    4.マルコーニの業績
    ここで、マルコーニについて簡単に触れておきましょう(表1)。

    実業家としても成功しており、1897年にマルコーニ無線電信会社を創立しました。マルコーニはとても裕福な家庭の生まれであり、学校にはほとんど通いませんでしたが、両親が家庭教師を何人も雇ってくれたおかげで、数学や物理、化学などをマンツーマンで学ぶことができました。

    若いころからマルコーニは科学、特に電気に興味を持っていました。1888年、ハインリヒ・ヘルツが電磁波を発見し、かつ検出できることを示して、そこからこの時代の無線通信の発展が始まったところでした。

    マルコーニは自宅の屋根裏で装置を自分で作り、実験を開始しました。彼の目標は電波を使った「無線電信」の実用的システムを完成させることでした。すなわち、電線を使わずに電信のメッセージを遠隔地に伝送することを目標としたのです。当初マルコーニも限られた距離でしか信号を送れませんでした。1895年夏、彼は実験の場を屋外に移しました。送信機と受信機のアンテナを長くし、それらを垂直に配置して、一端を接地させると通信距離が大幅に延びたのです。間もなく彼は丘を越えての信号伝達に成功しました。距離は約1.5kmになっていました。マルコーニはさらに資金をかけて研究を続ければ、さらに距離を延ばすことができ、商業的にも軍事的にも価値のあるものになると判断しました。彼は世界で初めてのアマチュア無線家と言える存在だったのです。

    公開実験を繰り返したマルコーニは、国際的にもさらに注目されるようになっていきました。1897年7月にイタリアへ帰国してラ・スペツィアでイタリア政府向けの公開実験を行った彼は、さらに1898年7月6日には北アイルランドのバリーキャッスルとラスリン島の間で実験を行いました。1899年3月27日にはフランスのウィムルーとイングランドのサウスフォアランド灯台を結び、英国海峡を横断する実験を行いました。1899年秋には、米国で最初の公開実験を行い、ニューヨークで国際ヨットレースであるアメリカーズカップのレポートを無線で伝えるというデモンストレーションを行いました。米国へはニューヨーク・ヘラルド紙に招待されて行き、アメリカーズカップの模様を無線で伝えることを依頼されたのです。送信機はPonceという客船に設置されました。米国からイングランドに戻るべく出発したのは1899年11月8日のことで、船上で助手とともに通信機を設置し、11月15日に船が英国の海岸から66海里まで近づいたとき、マルコーニが作っておいた無線局との間で無線電信のやりとりに成功しました。

     

    5.大西洋横断無線通信

    世紀の変わり目ごろ、大西洋横断電信ケーブルに対抗すべく、マルコーニは大西洋を横断して無線で信号を伝える手段を研究し始めました。1901年12月12日、凧で吊り上げた高さ150mのアンテナを受信用に使うことで、コーンウォールのポルドゥーから発信した信号をニューファンドランド島セントジョンズのシグナルヒルで受信することに成功したと発表しました。2地点の距離は約3500kmでした。科学技術の重大な進歩として報道されましたが、受信できた信号が途切れ途切れだったこともあり、本当に成功と言えるのか疑問視されています。第三者が確認したわけではなく、単に S(・・・) を表すモールス符号を繰り返し送ったということで、雑音と区別しにくかったのではないかとも言われています。

    1902年12月17日、北米側からの初の大西洋横断無線通信に成功しました。発信地はカナダのノバスコシア州東端のグレスベイです。現在はマルコーニ国立史跡になっています。1903年1月18日に、マサチューセッツ州ケープコッドの無線局(1901年建設)にてセオドア・ルーズベルト大統領から英国国王エドワード7世へのメッセージを発信しました。これが米国から発信した初の大西洋横断無線通信となりました。しかし、安定した通信ということでは程遠かったようです。なお、このケープコッドの無線局は1912年のタイタニック号沈没事故の遭難信号をいち早く受信した無線局の1つでもあります。

     

    6.タイタニック
    無線黎明期における船舶無線局のオーナーは海運会社ではなく、無線会社でした。1912年4月に世界最大級の沈没事故を起こしたタイタニック号の無線局(呼出符号MGY)の無線通信士2人は、マルコーニ国際海洋通信会社の社員でした。最初はマルコーニ社の社内規則による遭難信号CQDを使い、後になって世界共通のSOSを送信したとされています。海難事故の際にこの無線局のオペレーターは、タイタニック号の乗客の救出を行うようにカルパティア号に素早く連絡することができたのです。

     

    7.マルコーニ無線局の構成と年表

    マルコーニ無線局の構成、送信機の概略図(写真3)。および年表(表2)を説明します。

    ①タワー
    ほぼすべて 3 インチ x 12 インチの部材で構築した 4 つのタワーがアンテナを支えていました。 それぞれの高さは64m でした。コンクリートの基礎の上に立っており、そのうちの2つは現存しています。

    ②アンテナ
    ワイヤーアンテナは逆ピラミッド型で、 上部には、四角く撚られた重い銅線が設置されていました。これには 200 本の小さなワイヤーが取り付けられており、送信機室の真上で束ねられていました。

    ③居室
    建物には、マネージャー、2 人のエンジニア、3 人のオペレーターが住んでいましたが、 その痕跡は何も残っていません。

    ④電力室
    45 馬力のエンジン発電機は2200 Vの 交流を変圧器に供給し、変圧器により 2万Vまで昇圧されました。 別に小型の DC 発電機が予備バッテリーの充電を維持しました。

    ⑤送信機室
    ここには、コンデンサー・アンテナ同調コイルそして風下 6 km地点でも聞こえたかもしれないスパーク ギャップ ローターが回っていました。

    ⑥タワー基礎とステーなど補強
    直径 1 インチ (2.6 cm) の 12 本のスチール ケーブルが各タワーを強風から守りました。 ステーは、砂の中に 8フィート (2.4 m) 埋められた交差した木材に固定されていました。

    (写真4:無線局の4つの木製タワー(出典:www.nps.gov))

     

    8.マルコーニ無線局の廃止
    無線局には写真4に示すように高さ 64 mの 4 つの木製タワーの上に大きなアンテナ アレイを建て、送信所が設置されていました。エンジンを動力源とし、英国コーンウォールのポルドゥーにある同様の基地に信号を送信するために必要な電力を発電していました。この無線局は 1917 年に閉鎖されました。その大きな理由の1つは、タワーが地盤の浸食により倒壊の恐れがあったためでもありました。 1920 年に利活用可能な機器が撤去され、無線局としては放棄されました。 それ以来、何年にもわたって浸食が進行し、現在はこの場所の無線局の痕跡はタワーも共に一切残っていません。 海がすべてを奪い取ったと言えるでしょう(写真5)。
    送信機室と北西タワーのコンクリート基礎、支線を固定していた砂アンカーなど、いくつかの遺跡が今も残っています。

    (写真5:かつてマルコーニ・ビーチにあったマルコーニ無線局を示す説明板(出典:www.waymarking.com))

     

    9.マルコーニの名前を冠した地名
    このマルコーニが米国から初の大西洋横断無線通信を行った付近の海岸がマルコーニ・ビーチと呼ばれているように、世界各地に彼の名前を冠した地名があります。
    ニュージャージー州サマセットには、かつてマルコーニの無線局(ニュー・ブランズウィック・マルコーニ無線局)があり、1918年ウッドロウ・ウィルソン大統領が十四か条の平和原則のスピーチをそこから発信しました。現在、そこはGuglielmo Marconi Memorial Plazaとなっています。
    イタリア国内には「グリエルモ・マルコーニ広場(Piazza Guglielmo Marconi)」と名付けられた広場がローマ、ヴェルナッツァ、バニョーロ・ディ・ポー、ピニョーネなどにあり、「グリエルモ・マルコーニ通り(Via Guglielmo Marconi)」ないしは「グリエルモ・マルコーニ大通り(Viale Guglielmo Marconi)」などと名付けられた通りにいたっては、枚挙にいとまがないほど存在するそうです。

     

    10.おわりに
    米国から大西洋を越えた初の電波を発した無線局が、その後にタイタニック号の乗員救助に一役買ったわけですが、自然の浸食の力には勝てず廃局となって、現在はその痕跡も残っていないというのは、何とも数奇な運命です。海水浴で賑わいを見せるビーチにマルコーニの名前を残すのみとなった理由が理解できました。

     

    *このエッセイは電気通信2023年9月号に掲載されたものを、ウェブサイト用に編集しました。

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